

急に寒波がやってきました。
冬タイヤがあると安心の季節です。
昨日は、佐世保市立日宇中学校の150周年を記念した行事の一環として
お招きいただき、僕の友人との特別ユニットバンド
「SASEBOワンダープロジェクト」で、
全校生徒さんの前で、演奏してきました。
小学校の体育館で演奏するという初めての経験で、
大人の私たちの方が緊張していましたが、
子ども達は(事前にリハーサルされていたのか?)
手拍子をしながら、楽しそうに聴いてくれました。
演奏が終わったあとも、手を振ってくれる子供たちの笑顔を見て
幸せな気持ちになると同時に、
育てておられる、親御さんや先生方の努力に感謝したひと時でした。
さて本日のテーマは、
海外バイクツーリング冒険記アフリカ編12
『アラブ人が使った修理の魔法!』です。
ぜひ、お読みください!
(‘◇’)ゞ
(この冒険記は1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)
1986年9月28日日曜日(砂嵐) Stay in Douz
夢に見たプールのあるホテル「サハリアン」を出発。
今日の目的地はNAFTAだ。
ところが、ほんの500メートル進んだ所で、
リヨネラのBMW R80がエンスト。
昨日と同じ、電気系統の故障みたいだ。
セルモーターは回るけれども、プラグが点火しない!
現場でなんだかんだやっていると、
「俺はメカニックだ!」というアラブマンがやってきてくれた。
「この砂嵐なので、ここで修理するのはバイクに悪い。俺のガレージへ行こう」
と誘ってくれて、それに従うことになった。
アラブマンメカニックのHAFED(ハーフェッド)が、BMWを押してくれて
リヨネラは彼のガレージまで歩いて移動だ。
そして、僕のバイクのタンデム席に、マドモアゼルロゴンスを乗っけて移動。
日本を出発する時には、パリジェンヌを後ろに乗せて走ることがあるとは
夢にも思わなかった(‘◇’)ゞ
さて、BMWをこのアフリカのチュニジアでどう修理するのだろう。
この国には、ドイツのBMWのディーラーは皆無。
フランスのプジョーとモトベカンヌの50CCのバイク以外どんなバイクも
輸入されていない。だから当然、部品は手に入らない。
電気系統の故障で、新しい部品が手に入らないということは大問題だ。
ところが、アラブマンメカニックのハーフェッドは、
部品がなくとも、どんどん具合の悪い個所を見つけては、
「回路を直結」していくという方法で修理に集中し、
3時間後にはエンジンを魔法をかけたように復活させてくれたのだ!!
これには、みんなで「感謝と感動!」だ。
バイクが復活して、喜んでいる時、
ハーフェッドは足をケガしていて、熱もあるという事に気づいた。
そこで、医者のリヨネラが付き添って、
ハーフェッドを病院に連れて行くことになった。
僕は僕で、疲れも出て、オナカの調子も悪いので、
一足先にホテルに移動して、休んで待っていることにした。
昨日泊まったホテルサハリアンの、隣のホテルにチェックイン。
6TD300という料金をとるのに、
部屋は砂だらけ!トイレも綺麗とは言えない。
プールはあるのだけど・・・
しばらくして、直ったBMWでリヨネラとロゴンスが
僕を迎えに来てくれた。
なんと、メカニックのハーフェッドが、昼食をご馳走してくれるとのこと!
僕は、オナカの調子が悪かったので
チュニジアの辛い料理は、遠慮しようかと思ったけど、
ロゴンスが、「日本から持ってきたインスタントのおかゆを食べたらいいじゃない」と
誘ってくれるので、一緒にハーフェッドの家に行くことにした。
ハーフェッドの家は、周りを高い壁で囲んで砂除けをした、大きくて立派な家だった。
彼の部屋に入ると、とても涼しくて砂も入ってこない快適なスペースだ。
ホテルよりず~っと良い!!
この日の僕は、たまった疲れがどっと出て、
おなかの調子が悪くてほとんど食べきれない状態だったけど、
ロゴンスに手伝ってもらっておかゆを作り、なんとか食べることができた。
するとだんだん具合が良くなってきた。
民族衣装を着せてもらったロゴンスと、ハーフェッドの家族と記念写真!
リヨネラとロゴンスは、
チュニジア料理のクスクスを美味しそうにご馳走になっている。
ハーフェッドも足を治療してもらって、機嫌が良い。
そうしているうちに、
ハーフェッドが、「今夜は3人とも家に泊まっていきなよ!」
と誘ってくれる。
「リザーブしたホテルは、キャンセルすればいい」という。
そこで、3人でホテルに出向いてキャンセル交渉だ!
最初は3TDしか返してくれないというが、
リヨネラが粘って交渉してくれて4TD返金してくれた。
1人あたり2TD300の損にはなったけれど、
ハーフェッドの家に泊まることは、得難い体験だということで
意見が一致して、ホテルはキャンセルだ。
そうこうしていると、ホテルには団体ツアーの観光バスが乗り付けてきた。
なんと、駐車場で、団体観光客に民族衣装のジェラバを着せ、
ラクダに乗せて、順番に記念写真を撮りはじめた。
駐車場で、ラクダに乗って、ぐるぐる回る観光客の姿はとても滑稽で、
ロゴンスはおなかを抱えて笑っている(見つかったら失礼だよね)
しかし、そのせいで、
僕のバイクを、置いている場所から出せなくなってしまった!
バイクを脱出させるには、プール脇の階段を上るしかなかった。
そこで、ホテルレセプションのアラブマンに、
「ここをバイクで通っていいかな?」とジェスチャーで聞いてみると、
「ウイウイ」と驚いた顔をしてうなずいた。
あとでロゴンスから聞いた話によると、
「きっとバイクを壊すよ、彼はクレイジーだ」と言ったそうだ。
ロゴンスが「クレイジーじゃないわよ」と言うと、
彼は「そうだ彼はジャパニーズだ」と…?
(^_-)
でも、そんな階段は、
スイスエンデューロチームのみんなと登ったフランスの山々に比べると、
なんてことはない簡単なコースだ。
バイクで階段を傷めないように、ふわりと優しく登って、
あっさりとクリアしたら
ロゴンスがムチャクチャ喜んでくれた。
ハーフェッドの家では、なんとギターまで用意してくれて、
男の子一人、女の子3人の小さな兄妹と、彼の家族と一緒に
みんなで歌ったり、踊ったりの大騒ぎ。
最高に楽しいひとときだった。
夜は、みんなで一つの部屋に寝ることになったけど、
リヨネラとハーフェッドは、なんとBARに出かけるという。
僕はまだオナカの調子がイマイチだったので、BARは遠慮して、
ロゴンスとずっと話していた。
(フランス語は全く無理なので、お互いにスピードダウンした英語で…)
リヨネラとロゴンスの二人は、もう12年も一緒に暮らしている。
だけど、結婚はしていない。
今(その当時)、フランスでは、結婚せずに一緒に暮らすということは
かなり普通のことらしい。
それにも周期があって、時代によって結婚することが当たり前になったり、
とにかく移り変わっているそうだ。
ロゴンスは結婚することがベストだとは思わないという。
でも、僕は帰国したら、結婚するつもりで、
婚約者MARIKOが待っていると…。
リヨネラの帰りを待ちつつ、
そんな話をしながら過ごした長い夜だった。
(リヨネラ、深夜1時30分に帰着)
…おやすみなさい。
To be continued