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『海外バイクツーリング冒険記アフリカ編22』 ~アフリカからの脱出、ヤミ屋のオヤジの情報に賭ける!~

【JAL奇跡の再建!立役者に会いました】

先日、商工中金佐世保支店さんの講演会で、

JALの奇跡の再建を成し遂げた京セラの、

稲盛和夫氏の側近中の側近と呼ばれた

大田嘉仁さんのお話を聴きました。

 

稲盛さんがJALの再建を引き受けた時の年齢はなんと78歳。

それを側近中の側近として支えたのが大田さんです。

 

奇跡のスピード再建を成し遂げさせたのは、

  • 大きな愛
  • 利他の心「JALの社員に幸せになって欲しい」
  • 善き思い

 

稲盛さんが「厳しいことを言うのは、

JALを、そして社員を愛しているから」

 

厳しい稲盛さん流の改革に、当初は反発していたJALの幹部の方々も、

稲盛さん、大田さん達の「無償の愛の偉大力」によって

その哲学「フィロソフィ」が血肉化していきました。

全社員の意識が変わり、行動が変わり、JALが変わったのです。

 

奇跡を支えた大田さんの言葉は、ジーンと心に刺さりました。

「考え方」「熱意」を高めて、日々精進していきたいと思います。

 

さて、今回のテーマは、

『海外バイクツーリング冒険記アフリカ編22』

~アフリカからの脱出、ヤミ屋のオヤジの情報に賭ける!~

ぜひ、お読みください!

(‘◇’)ゞ

 

 

(この冒険記は1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)

1986年10月9日木曜日

 

【高級ホテルでケチる僕、反省((+_+))】

初めて泊まった4つ星ホテルは、さすがにムチャクチャ高かった。

恐ろしいコレラが流行っているアルジェリアだから、

これも保険料だ!と自分を納得させようと思っても???だ。

 

もっていたアルジェリア通貨は全部ホテルに吸い取られた!

 

追加して30米ドル分のトラベラーズチエックを両替したが、

もう十分お金は取られたという気分だったので、

ボーイさんが駐車場まで案内してくれたにもかかわらずチップも渡さなかった!

(あとで、ボーイさん達は、チップが頼りとの事情を聴いて反省、

ボーイさんには払っておくべきだった)

 

朝10時にアルジェリア北西部の都市OLANを出発。

https://www.google.com/maps/search/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8C%97%E8%A5%BF%E9%83%A8%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82OLAN/@35.6211642,-0.917984,10z/data=!3m1!4b1?authuser=0&entry=ttu

 

古都トレムセンに立ち寄ったが、ここではガソリンを給油したのみ!

オーッというような珍しい遺跡に、目前に出くわしたりしたけど、

写真は撮れない!

 

アルジェリアでは、写真はヤバいヤバいとばかり聞かされていた!

「軍事上のもの」を撮ってはダメなのだという事。

※僕は、「撮影禁止」のものを撮ったのが

見つかったらカメラ没収になる!という噂にビビリすぎて、

アルジェリアでの写真はほとんど撮っていないのだった。

 

早々に、バイクのアクセルを全開にして120㎞クルージング!!

 

トラムセンから国境の街までは、景色の良いワインディングロードだった。

しかし、アルジェリアのアスファルトはあまり質が良くない。

滑りやすいので要注意だ。

 

途中ものすごく緩やかなカーブを100㎞くらいで曲がっている時に、

ズ・ル・リ…と緩やかに滑った。

これは怖い~

 

 

【国境で困らない、魔法の言葉】

審査が超厳しいと前評判のトレムセン⇒ウジュダの国境へは、

レストランで腹ごしらえした上で、午後13時50分に到着。

 

いつもの調子で、

日本語とフランス語と英語の単語をつなげて、

「ボンジュール、ムッシュ~。ミー、ジャポネ、ノリ」と、愛想よく言ったら、

何と「アルジェリア国境」は、荷物も開けずに出国OK!

 

アルジェリア国が求めているからと、

「30米ドルを両替して、アルジェリア通貨への両替総額1000DA分」

を準備して国境に臨んだ。

しかし、その両替は、もしかしたら必要なかったかも知れないなーというくらい

スムーズだった。そして、国境の係官はフレンドリーだった。

 

そして、いよいよ目の前にある「モロッコ国境」をクリアする番。

とにかく愛想よくしていたら、全く言葉が通じないのに、

ここもスンナリパスできた。

 

だけど、なんとここの国境で、「コレラの薬」という白い錠剤を

4粒飲まされたときには、ゾーッとした。

 

ここでは、面倒な荷物の検査はあったものの、

係官は、みんな珍しそうに、MADE IN JAPANを見て、喜んでいるみたいだった。

 

とにかくモロッコ⇒アルジェリアへ移動する国境越えは、超難しい!という評判だが、

僕がこの時に挑戦した

その逆のアルジェリア⇒モロッコは1986年10月の時点では、全く問題なかった。

(※2024年現在、残念ながら国境は閉鎖されています)

 

国境越えの所要時間は約2時間だった。

(国境にて50米ドルを438MDに両替)

 

 

【ヤミ屋のオジサンの情報に賭ける!】

ウジュダへ着いた時には16時を回っていた。

さて、どのルートを通ってジブラルタルに向かおうかと思い、街中で地図を見ていると、

スッと、フランス製モトベカンヌに乗った「ヤミ両替屋」のオジサンが寄ってきた。

 

オジサンの話によると、なんと、

「ここから150㎞先のメリリャというスペイン領の岬から、

毎夜12時(本当は11時30分だった)にフェリーが出ていて、

スペイン本土のマラガか、アルメリアに朝の9時に着ける」

と言うのだ!!

 

とにかく南スペインでゆっくりしたかった僕にとっては、

「エ~ホンナコツヤ~」というくらい耳よりな話だった。

 

ヤミ両替屋のオジサンの話を、どこまで信じていいのか迷ったけれど、

考えた末、この話に賭けてみることにした。

 

50米ドルを両替して、さっき受け取った北アフリカの438アルジェリアディルハムのうち、

410アルジェリアディルハムを5000スペインペセタと交換。

 

ペセタの適正レートを知らないので、全く冒険としか言いようがないけど・・・

 

そのままアルジェリアディルハムをスペインに持ち出しても、

両替してくれる両替所もなく、紙クズ同様になってしまうのだ。

 

だから、思い切ってかけてみた。

 

とにかく飛ばして、なんとか明るいうちに、国境の街に辿り着いた。

メリリャはスペイン領なので、またここで国境を越えなくてはいけない。

モロッコ側では、荷物検査もあり面倒だったけど、

時間的には約30分。スムーズにいったほうかな?

 

ここでも、公然とヤミ両替屋の兄ちゃんがうろうろしていた、

 

スペイン側へは、あっさりパスポートを見せるだけで通過できた。

(麻薬を見つけるためか、軍用犬がクンクン嗅ぎまわっていた)

 

 

【モロッコの滞在時間は3時間!?】

考えてみると、モロッコにはたったの3時間くらいしかいなかったことになる。

スイス人エンデューロチームのウイニーが、

僕を心配して、モロッコは危ない危ないと一生懸命言ってくれていたけど、

まあとにかくあっという間に、パスしてしまったわけだ。

 

まずはとにかく、フェリー乗り場へ19時30分頃には着くことができた。

 

ヤミ両替屋のオジサンの言葉は本当だった。

20時30分チケット売り出し

22時30分乗船場に集合

23時30分出航

というスケジュールで、

毎日スペインのマラガと、アルメリア行のフェリーが出ていた。

 

今日は、国境越えで忙しかったけど、

北アフリカでの1日とは、とても思えないほど

効率よく移動(トランジット)できた日だった。

 

やっと、アフリカ大陸からヨーロッパ大陸に向けて出港。

 

今夜、フェリーの中でぐっすり寝て、朝起きたら南スペインに上陸だ!

僕の旅は続く。

 

To be continued

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