不定期連載の海外バイクツーリング冒険記
今回はアフリカの旅の終盤のお話です。
当時、従姉夫婦の大きな助けを得て、
なんとか無事旅を完遂できたアルジェリア。
国土の80%はサハラ砂漠というハードな国です。
今の年齢になって思う事は・・・
若い時に夢に向かって挑戦できたことは、
本当に価値ある事だったということです。
理解し協力してくれた家族や周りのすべての方々、
旅で出会って、一緒に行動してくれた友人に、今も深く感謝しています。
その上で、これからの自分の人生を見通すと、
それでも「今が一番若い」という事。
ということで、今だからこそ出来ること、閃いたことに、
挑戦したいと思う、今日この頃です。
今回のテーマは、
海外バイクツーリング冒険記アフリカ編21
『5時間で切り抜けろ!アルジェからのアフリカ脱出』です。
ぜひ、お読みください。
(‘◇’)ゞ
(この冒険記は1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)
【従姉夫婦に守られた…アルジェを出発!】
1986年10月8日水曜日
1986年当時の「アルジェリア」。
フランスの植民地だった時代の名残で、
地中海沿いの首都アルジェの街は美しいところだったが、
僕が訪問した時には、コレラや肝炎など疫病が流行り、
盗難のリスクなど心配も多かった。
しかし、従姉夫婦の絶大な支援で、
北アフリカの休日を楽しむことが出来て、
体調もバイクの調子も復活。
いよいよ長期間の従姉宅での滞在を後にして、旅の再開だ。
出発の日のランチという事で、従姉と旦那さんが奮発してくれて、
アルジェで一等一番というレストランに連れていってもらった。
ここで、「子羊料理」が本当は美味い!ということを教えてもらった。
(羊はクセがあってニガテと思っていたが、ここで変わった!)
さらに、従姉の旦那さんの計らいで、コレラのリスク回避のため、
「今晩のアルジェリア最後のホテルは、最高級のホテルに泊まるように!」と
餞別までいただいてしまった。
従姉は、まさか、僕が本当にバイクでアルジェまで来るとは思っていなかったそうで、
予想以上に大歓待してくれて、お世話になってしまった。
本当に感謝しかない!
【5時間で切り抜けろ!国境の街オランを目指して】
ゆっくりランチを楽しませてもらったので、
出発するのが15時と、かなり遅くなってしまった。
最大限の感謝を伝えて、
「アルジェリア」をできるだけ早く出国することを目指して旅立った。
国境の街オランまでの約410㎞を、平均110~120㎞/hで飛ばした。
5時間走り続けて、20時に到着。
今度は、タイヤの内側部分の応急手当が効いたのか、パンクもせずに順調だった。
【バイク旅には似合わない!アフリカの高級ホテル】
今夜のホテルは、この旅では泊まったことのない、なんと4つ星クラス。
1夜の宿泊に565DA(約120ドル=18,000円)と驚くほど高い!
しかし、コレラの危険回避のためだ。止むを得ない。
財布はカラになったが、考えようによっては、あと30ドル両替すると、
アルジェリア国が要求する強制両替の必要金額にピッタリなのだ。
普段は節約を心がけて、キャンプ場にテントか、ユースホステル。
良くても、せいぜい1つ星か2つ星のホテルの旅を続けている僕にとっては、
こんな高級ホテルにバイクで乗り付けるのは、どうも落ち着かない。
やはり、ハッキリ言って、バイク旅らしく、安くて良い所のほうが落ち着ける。
とは言え、せっかくだから、もったいないと思わずに、寛ぐことにした。
このホテルでアルジェリア通貨の持ち金を使い果たしてしまった。
これは、「あと30ドル両替して、法定の1000DA両替しておきなさい」という
アラーの神の思し召しだと考えて、
ちゃんと両替してから、アルジェリアとスペインの国境に臨むことにした。
自分の幸運を祈る!
To be continued