ドラマをほとんど見ないわが家ですが、
「古見(こみ)さんはコミュ症です」
というダジャレのようなタイトルのドラマが妙な面白さで、
夫婦二人でついつい見てしまっています。
今回は、その「コミュニケーション」に関しての話です。
先週の木曜日、させぼ夢大学にお迎えしたのは
「スナフキンの手紙」など数多くの受賞作を持ち、
作家・演出家として幅広く活躍されている鴻上尚史(こうかみ しょうじ)さん。
表現とコミュニケーションの専門家として、
日本人だからこその良い点と、
欠落してしまいがちな点をズバリ指摘!!
どうすれば、日本人に足りない
コミュニケーションのスキルを磨けるのか
分かり易く説いていただきました!
今回のテーマは、鴻上さんに聞いた
「日本人のコミュ症レッスン」です。
ぜひお読みください!
(‘◇’)ゞ
今回の
鴻上尚史さんのレッスンは、
二つのキーワードから始まりました!
それは
「世間」
そしてその反対語としての
「社会」です。
「世間」とは「知っている人」の世界。
「社会」とは「まったく知らない人」の世界です。
鴻上さんに言わせると、
「日本には世間はあるが、社会が無い!?」
となるそうです。
東日本大震災のときの日本人の対応に、感激したブラジル人の話を紹介されました。
被災地のコンビニエンスストアが、
震災で困っている「地元の人々」を助けるために、
在庫商品を配ったという話。
そして、山手線で荷物を忘れた外国人の話。
電車に忘れ物し、母国の感覚で絶望していたが、
「日本人の友人」がJRに電話して、探してくれた!
そしたら、なんとバッグが出てきた!!
なんという国だ!なんて思いやりがある国だと興奮して喜んだ。
しかし、新宿駅で、横に乳母車をもった女の人が、
重そうに階段を上っていたが、誰も手伝っていない!!
なぜだ!こんなに親切で素晴らしい日本人のはずなのに、
都会では、「知らない人」を手伝わない。
「知っている人」「地元の人」=「世間」に対して、
気を使い、温かく親切。
しかし・・・
「知らない人」=「社会」に対して、
どう手伝っていいかわからないのが日本人なのだ。
言い換えると、
「世間」に対して、
「シンパシー」=「同情心」を持つ。
それが、日本人だからこその良い点。
これは人間として自然に沸き起こる感情でもあります。
しかし、
「社会」に対しての「エンパシー」=「相手の立場に立つ能力」が不足している。
それが日本人に、欠落してしまいがちな点だそうです。
これは感情ではなく、能力です。
さらに、現代の日本では、
その「世間」が壊れてきていると警鐘を鳴らされます。
イジメは世界中にあるが、
日本にしかないイジメがあるそうです。
それは、
たった一人をクラス全員で無視するイジメです。
そんな目にあったらたまったものではありません。
「世間」という感覚は日本独自のもの。
農耕民族日本人だからこそのもの。
農民の一番の関心ごとは、村単位の年貢でした。
年貢は村で請け合います。
例えば、村の10軒で100俵を納めなければならない。
村としてまとまる必要があるのです。
だから、田植えや刈入れでお互いを助け合ったのです。
米をつくるとき、水を引いてくる、
お互いのことを慮って、全戸に行き渡るように、
枯渇しないように分け合うのです。
例えば、誰かが抜け駆けして、自分だけのために水を多く引いてしまうと、
他の村人の田んぼの稲が枯れてしまい、
村の皆で納める年貢が足りなくなる。
つまり、村の掟をやぶることになる・・・。
そして、生きていけない村八分になるという訳です。
鴻上さんは、村という「世間」を、
日本の「一神教」だと例えられます。
「世間」を守るという「一神教」。
村を抜けたら犯罪者になる
というものです。
世間の特長=日本の特長は・・・
1:同じ時間を生きる
2:贈り物が大切
3:年上が大切
4:ミステリアス どう考えても合理的な他のやり方があっても、これまでを守り続ける
5:排他性 外に敵をつくることで、世間を強める
これまでの日本のスタイルでは、
「世間」(協調性)に価値を置いているので、
例えば宴会などでも
「とりあえずビール」ということで、
少しでも全員が早く乾杯できるように気をつかう
という暗黙のルールがありました。
しかしこれは、
「社会」(多様性)とは、正反対の特長を持っています。
例えば、「社会」(多様性)に価値を置くと、
「一人一人に飲みたいものを聞く」という配慮をします。
ガマンして、
欲しくもない「とりあえずビール」を、みんなで飲む
・・・では無いのです。
本来の日本人の良さ
「世間」を大切にし、
「絆」「思いやり」「やさしさ」を大切に守る。
そして、
意識しないと、日本人には不足してしまう
「社会」も大切にする感覚、
「相手の立場」を理解する力を、
訓練して育てていく必要性を訴えられました。
外国では、「エンパシー」=「相手の立場に立つ能力」
を身に着けることを目的に、
その立場になってみる練習を、学校の授業でやっているそうです。
その立場になって考える場を経験すると、
絶対に忘れないものだそうです。
教育プログラムに、そういう訓練を取り入れて、
日本にしかないと言われている悲しいイジメが、
起こらない「社会」を築いていく必要性を痛感させられました。
鴻上さんのコミュニケーションの授業では、
日本人の「良い点」と対比して、
日本人の「コミュ症」をズバリ指摘されました。
私も・・・
「社会」を意識し、
「多様性」を認め、
「相手の立場に立つ」訓練を、
意識して精進していきたいと思います。