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『海外バイクツーリング冒険記アフリカ編20』 ~知らぬが仏、コレラ流行@アルジェリア~

僕が「海外バイクツーリング冒険旅行」に挑戦したのは1986年。

26歳だった僕は、夢にみた海外を、夢中でバイクで走っていました。

 

その時、自分の命を守るために、心がけていたことは

「自信にあふれた毅然とした姿勢でいること」

 

こうすることで、

「隙あらばと狙っているヤカラ」を近づけない効果を実感。

 

そして、この人は大丈夫と判断したら、笑顔で見つめて、

「挨拶だけ現地の言葉」を使って、

「中身はカタコトの英語」でコミュニケーションをとっていました。

 

その姿勢が、「運」を引き寄せ、数々の難題をクリアさせてくれたと

今でも確信しています。

 

さて、今回のテーマは、

『海外バイクツーリング冒険記アフリカ編20』

~知らぬが仏、コレラ流行@アルジェリア~

ぜひ、お読みください。

 

(‘◇’)ゞ

 

(この冒険記は1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)

 

1986年10月5・6・7日(日・月・火)の続き

アルジェリア首都アルジェにて、従姉宅に滞在。

 

【知らぬが仏、コレラ流行@アルジェリア】

M商事アルジェ支店に勤務している従姉の旦那さんのおかげで、

知らないとオオゴトになる、特殊な国事情をいろいろと教えてもらい、

さらに強力なバックアップをしてもらった。

 

「アルジェリア」に入国する前に、

バイクで駆け巡っていた「チュニジア」は治安が良く、

比較的安心して(特に盗難等について)旅していた。

 

しかし、「アルジェリア」に入国したら事情が違った。

首都アルジェでは、車内の盗難や、悪戯がかなり多いとの事。

 

なんとM商事の車には、初めて見る

「ハンドルとクラッチをフックでロックする」という

大げさな盗難防止装置が備え付けてあった。

 

 

さらに、なんとアルジェリアでは今「コレラ」が流行っているとのこと。

さらに「肝炎」も流行中。

日本の方も一人亡くなってしまったそうだ。

 

生水・生野菜はみんなヤバいとのこと!

 

コレラ流行の中心地は「ビザルテ」。

なんと、僕は知らずにバイクで走り抜けてきた。

偶然通った道は、ビザルテの街をバイパスするコースだったので、

危険な街に立ち寄らずに済んでいた。

 

アラビア語の新聞は読めないし、テレビを見ても聴き取れないので、

「コレラ」も「肝炎」も知らずに通ってきた。

 

思わず「ゾゾッ」とビビッてしまった。

 

 

【我慢ならぬ!アルジェの理不尽】

当初の計画では、アルジェからフェリーに乗って、

フランスのマルセイユ、もしくはスペインのどこかに渡って

ヨーロッパに戻ろうと考えていた。

 

しかし、アルジェリアの特別ルールで、

出国するための費用としては、

新たに1000DA(約3万5千円)を「強制両替」する必要があるというのだ!

 

手持ちの現地通貨では買えない!

新たにフェリーチケット代金1200DA(2等なら870DA)分の両替をして、

その分の「銀行の両替証明書」がないと、チケットを売ってくれないのだ。

 

従姉の旦那さんも、M商事の現地人秘書の方まで一緒に、

銀行に来てくれて、一緒に交渉してくれたのだけど…

それでもダメだった。

 

これにまともに応じると、合計2100DA(約7万円分)も

両替しなくてはならず、500DAくらいは余してしまって

ドブに捨てることになる。

 

あまりにもモッタイナイので、

アルジェからフェリーで渡るプランは諦めることにした。

 

【パンツの中まで見られる!?モロッコへ】

 

新たなプランは、

アルジェリアから、隣国のモロッコへバイクで移動し、

そこから、ジブラルタル海峡を渡ってスペインに入国する作戦だ。

 

問題は、最も国境越えが難しいといわれていること。

なんと入国審査で「パンツの中まで見られる!?」という評判で、ビビッてしまう。

 

タイヤに一抹の不安も残る中、

北アフリカでさらに隣国までバイクで走るのは、

キツイ旅になりそうだ。

 

だけど、こんなことがなければ、一生モロッコに行くことはないだろう。

良い機会だと考えて気合を入れてみることにした。

 

とにかくハードな環境の北アフリカの旅だが、

アルジェ在住の従姉とその旦那さんのおかげで、

身も心もバイクも、旅の後半に備えることができた。

 

To be continued

 

 

【現地を想い、歴史を想う】

~2024年、今振り返って~

 

僕がアルジェリアを旅した1986年、

アルジェリアは社会主義的な政治を行っていました。

 

資本主義の隣国「チュニジア」には20年経過したような、

大中古車がいっぱい走っていました。

大衆にも頑張ったら中古車が買えるんだと感じました。

 

当時社会主義的な国だった「アルジェリア」には、

新しいベンツが少数走っていました。

特権階級はベンツに乗っているけど、大衆には車は買えないという印象でした。

 

しかしその後、アルジェリアには経済危機がおこり、

複数党制が認められ、社会主義的な政治からの転換があったそうです。

 

1991年~2002年まではアルジェリア内戦が起こり10万人以上の犠牲者が発生。

1992年にはクーデターが起こり、1999年にはテロが頻発。

2013年には、天然ガス関連施設で「人質事件」が発生。

2021年8月には、隣国モロッコと国交断絶。

 

なんと、今は、アルジェリアからモロッコに入国した

僕が旅したルートは閉じられているのです。

 

あらためて、僕は、「人に恵まれ、運に恵まれ」

無事に旅を続けることができて、平和な日本に帰ってこれたことを

心から感謝しています。

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