先週は、久しぶりの東京出張で、東京ビッグサイトで開催されていた
「マーケティングEXPO」をはじめとした複数の展示会で情報収集してきました。
私より先に、弊社の企画部の若手メンバー達が、
「お客様の課題やニーズを、新しい手法で解決」できるようにと、
2日間、広大な展示会場を巡ってくれました。
私は、彼らが「注目したブース」に絞って再度訪問するというスタイルを基本に、
いろいろとユニークなものを仕入れてきました。
お客様の課題を解決し、ニーズを満たして、喜んでいただけるよう
スタッフ一同努めますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今回のテーマは、
『海外バイクツーリング冒険記』2回目のフランス編3
~旅の資金尽きる?…親切なフランス人のおもてなし~
です。ぜひお読みください!
(‘◇’)ゞ
(この冒険記は、1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)
1986年10月25日土曜日 (晴れ 一時雨のちまた晴れ)
アフリカで助け合ったサバイバル仲間のお医者さん、
リヨネラ(BMWオフロードバイクR80のライダー)が、
今日は休日だったので、一日中僕の行動に付き合ってくれた。
フランス語では、問い合わせも交渉も、全く出来ない僕は、
これ幸いと、いろいろとヘルプしてもらった。
午前中に、旅行エージェントに行ってみた。
フランスでは、日本で買うよりも、ずっと航空券が安い!
パリから⇒東京までの片道航空券が、
パキスタン航空で4250フランスフラン(当時の日本円で10万2千円)、
アエロフロートで4300フラン、
マレーシア航空で4570フラン(クアラルンプールで1泊付)と、安いのだ。
日本(成田)から⇒アムステルダムまでの片道航空券は、
パキスタン航空の格安航空券でも16万円以上したので、ずいぶん安く感じる。
しかし、問題はお金!!僕の残りの所持金だ。
すでにチケットを買えるだけのお金が無いので、
オートバイが売ってお金をつくるしか、日本に帰る道はない!!
午後からは、オートバイを少しでも高く売るために、
バイクのオールクリーンアップ作戦だ。
彼らのマンションにすぐ近い、教会前の広場に陣取って、作業を始めた。
シートの汚れ落とし、そしてプラスチック部品の洗浄には、
ロゴンスに借りてきた食器用洗剤がオールマイティに有効だった。
シートは新品のように蘇った。
さらに、黄ばんだりした汚れの酷い部分には、
ガソリンやオイルをクリーナー代わりにして(これは危ないので止めましょう!)
徹底的に真っ白に!!
さらにトドメは、エンジンにエンジンオイルを塗りつけて拭く!
なんと黒塗りのエンジンが、まるで新品の時のようにピカピカになった。
そうこうして、ヨーロッパ大陸から北アフリカまで、
3か月間、約1万6千キロメートルを走り続けた僕の愛車は、
新車の時のような輝きを取り戻した。
バイクをクリーニングしている間、
広場の前の大きな教会では、結婚式が行われていて、
大きな鐘が鳴り響き、とても良い風景だった。
バイクが綺麗になったところで、パリの大きなバイク屋さんに出向いて、
リヨネラに通訳してもらって、バイクを売りたいと申し出た。
しかし、リヨネラがバイク屋さんと交渉してくれたのだが、
オランダナンバーのバイクを、フランスで売るとなると、
税金やその他法的手続きのために、
かなりお金を失うことになるとの話だった。
そこで、結論としては、オランダのアムステルダムまで戻って、
お世話になった保険屋さんのビルヨウ家と、
バイクを購入したお店「ヴァインハートMOTO」を
頼るしかないという結論になった。
夜になると、リヨネラとロゴンスのマンションに、
リヨネラのJAZZ仲間が訪ねてきて、
ピアノとギター2本のJAZZトリオの演奏が始まった。
とても良い雰囲気だ。
演奏の後は、5人で一緒に、パリの日本料理店に連れて行ってくれた。
パリの日本語新聞に紹介されていた、「江戸」という名の高級日本料理店だ。
すき焼きと日本酒がとても美味しかった。
さらに贅沢なことにシャブシャブと寿司まで注文してくれた!
フランス人のみなさんも、とても美味しいと楽しんでいたけど、
相当高級なお値段だった。
(もちろん全部リヨネラにご馳走してもらいました)
いよいよ、所持金も尽きてきて、
日本に帰る日が近づいてきた。(‘◇’)ゞ
(まだ帰りの航空券も買えていないのに、
「なんとかなる」としか思っていない、相当楽観的な僕でした)
To be continued.