先週、佐世保在住の、アメリカ人のお偉いさんの挨拶を聴く機会がありました。
その方は、日本に着任されてまだ1年経っていないというのに、
なんと、原稿を見る事なしに、見事な「日本語で挨拶」されたのです。
懇親会の席で、妻と一緒に「つたない英語」で話しかけてみました。
すると、なんと「日本語で応答される」のです!
もしかして?と思い、先週のメルマガで紹介した、
外国語学習アプリ「デュオリンゴ」のことを訪ねてみました
予想は「当たり!」この方も「デュオリンゴ」で日本語を学んでおられたのです。
しかも画面を見せてもらったら「デュオリンゴ連続学習記録」がなんと「450日」
日本に来られてまだ300日くらいなので、
着任予定が分かってから事前に150日ほど学習されていたということ!!
日本の言語を学んでくださるということは、
私たちの国のことを大切に思ってくださっているという事の表現でもあります!
とても嬉しく感じるひと時でした
Duolingo (デュオリンゴ)
(スマホのアプリがオススメです)
さて、今回のテーマは、
海外バイクツーリング冒険記2回目のフランス編4
ぜひ、お読みください!
(‘◇’)ゞ
(この冒険記は、1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)
1986年10月26日日曜日 (晴れ)
パリの親友リヨネラとロゴンスのマンションに、転がり込んでお世話になり、
すでに一週間が経とうとしている。
ベッドに寝転がったまま、窓から見る青空と朝陽がなんとも気持ちいい。
毎夜毎夜、パリの街をドライブで案内してくれて、
いろんなレストランでご馳走してもらい大歓待してくれた。
昼間は、二人はお医者さんとして仕事しているので、
僕は、一人でこのマンションで寛いでいることが多かった。
一週間もパリにいたというのに、
ルーブル美術館にも、ノートルダム寺院にも行っていない。
夜のドライブで案内してもらったものの、車の中から眺めただけだった。
この3か月間、夢中で旅してきて、
アルプスの山々、アフリカのサハラ砂漠と、オフロードを走りまくり、
素晴らしい友人たちと出会い、
旅に夢見て、求めていたものを充分すぎるほど得ることができた。
本当に夢のような3か月間の旅だった。
心地よい疲れが、タンマリたまっている上に、
・・・僕の「欲求」は、「満足」してしまっていた。
だから、もう今は、「新しい何かを見つけて感動したい」というより、
今回の旅で得た熱い体験の、
「思い出を味わいながらリラックスしていたい」という気持ちだった。
いつかは、改めてエネルギー満タンでフランスを訪れて、
リヨネラとロゴンスたちフランス人自慢の観光地を巡ってみたいと思う。
ところで、今日は日曜日なのだけど、
リヨネラはお昼から、彼が務める病院「Hospital National University de Paris」
で当直勤務に当たっているとのこと。
だから、今朝がお別れの時だ。
今日は、愛車BMWのバイクではなく、
友人からもらったというポンコツ?のシトロエン2CVで通勤だ。
駐車してある道路まで見送りに行ってビックリ!
なんと、パリでは(当時)、ほとんどの道路が駐車OKで、
路上放置があたりまえの、路駐天国状態。
その上、二人はお医者さんとしての「駐車許可証」を持っているので、
歩道であろうと、2重駐車であろうとOKの万能パスまで持っている。
(‘◇’)ゞ
2CV の前で記念写真を撮影して、リヨネラとフランス式挨拶だ。
最初は、男性とのこの挨拶を交わすのはギョっと思ったけど、
本当の友情を示す挨拶だと理解できたので、抵抗がなくなった。
この日、ロゴンスも午前中だけ患者さんを診ると出かけていったので、
黒猫のシブレット(生後5ヶ月の子猫)と二人きりで、のんびり過ごした。
部屋にはギターとピアノがあったので、
今回の旅と、黒猫シブレットを素材にした歌をつくってみた。
ロゴンスが帰ってきてから、この歌を聞かせたらとても喜んでくれた。
パリの最後の日も、観光には出かけず、日常をゆっくりと味わった。
1986年10月27日(月) 曇り
いよいよオランダ・アムステルダムに向けて出発だ。
マンションの庭の木に登ってじっとしていたシブレットに
「シブレット、バイバイ」と僕が言うと、
いつもよりも派手に「ニャーニャー」と鳴いてくれた。
まるで僕が、日本に帰ってしまうことを分かっているような気がした。
そして、ロゴンスとも、お互いの友情が永遠のものであることを約束して、お別れだ。
絶対にまた来るぞ!MERCI!
(※そうだ!フランス語をDuolingoで勉強するべきだね!)
To be continued.