「不定期連載」の海外バイクツーリング冒険記…
のはずが…コロナ拡大のために「連載」を続けています(笑)
(この冒険記は1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)
今回はスウェーデン編の続きです。
1986年8月17日の夜、
ストックホルムに移住していた親友「みっちゃん」の家で聞いた、
当時のスウェーデン事情。
みっちゃんは、その後、スウェーデン美人と出会ったでしょうか?
今、どんな暮らしをしているのでしょうか??
このメルマガの続きを書くために、
久しぶりに国際電話で50分くらい話を聴きました!!
※もちろんWi-Fi環境での無料音声通話です(^_-)-☆
今回のテーマは、
『海外バイクツーリング冒険記(スウェーデン編その2)』
~北欧に移住した友人のドラマ!~
…どうなっているのか!スウェーデン今昔…
是非、お読みください。
(‘◇’)ゞ
1986年8月18日 くもり/雨/晴/雨/くもり
僕は、親友みっちゃんのストックホルムのアパートに泊めてもらって、
久しぶりにぐっすり眠ることができた。
早朝に工事のドリルの音がウルサクて、ちょっと目が覚めたけど、
疲れがたまっていたのと、安心したのと重なって二度寝してしまった。
目が覚めたら朝10時30分!
スウェーデンの会社は早朝7時に始業、
早々と午後3時には終業だから、
みっちゃんはとっくに仕事に出掛けてしまっている。
午前11時に、みっちゃんの勤務する
「トミテボダ・ポストオフィス」(スウェーデン国営郵政省)
に行く約束をしていたので、あわてて出発。
迷った末にぎりぎりに到着したみっちゃんの会社は、
長さが300メートル以上はあろうかという、
ヨーロッパ一大きなビルだった。(当時のみっちゃん談)
スウェーデンの会社はとても融通が利く(^^♪
みっちゃんと、同僚の方と一緒に、社員食堂で昼食をご馳走になり、
午後は、彼に案内してもらって、局内を見学させてもらった。
オフィスのビル内には、大きな絵画や美しい彫刻などが沢山飾られている。
彼の説明によると、スウェーデンの法律では、公共建築の全体予算の1%は、装飾美術品の費用として計上しなければならないと定められているそうだ。
(1937年以来…80年後の今でも!)
こんな法律があるなんて、芸術家にとっては最高だし、国民のデザインセンスが上がるよね!
美術品はもちろんのこと、オフィスの内装には、至る所にオーク材を使ってあり、とても居心地の良い環境だった。
ポストオフィスの中には1台3千万するという無人ロボットが、50台も走って仕事をしていた。スペースも広々として最先端のイメージだ。
(30数年も前の事なのに驚き!!)
僕が、この旅に出る前まで勤務していた凸版印刷板橋工場には、週刊誌フライデーを印刷するグラビア輪転機の横に、無人ロボットが1台だけ稼働していた。その当時の日本では、まだまだ人が運転するフォークリフトがメインの時代で、ロボットはまだ珍しく、工場見学用の見せ物のようなものだった。
さて、話を現代のスウェーデンに戻しましょう!
【みっちゃん、スウェーデン美人と出会う!】
みっちゃんは、1986年に僕と会った後、2年間「労働許可ビザ」を延長し、
1988年に「永住許可証」を取得しました。
みっちゃんのケースは、ほとんどない事例でした。
「郵便物自動区分け技術の専門家」という特殊技能人材として認められ、
スウェーデン国営の郵政省の力があったからこそできたこと。
当時、「職業」を理由に申請して、労働許可ビザや永住許可証がとれたのは珍しい事だったのです。
その後、彼は郵政省で12年間働きました。
その間に、みっちゃんは、素敵なスウェーデン美人“カーリンさん”と出会いました♡
お付合いのきっかけはダンスだったそうです!
1997年にめでたく結婚♡♡。
二人の男の子に恵まれ、今もスウェーデンで幸せに暮らしています。
彼は結婚後、1998年に、
スウェーデンで最大の企業「エリクソン」に転職。
ストックホルム近郊に自宅を建てて、そこに今も暮らしています。
みっちゃんの国籍は、今も日本のままです。
スウェーデンの永住権は持っていますが、
スウェーデン国籍は持っていません。
スウェーデンでは2重国籍が認められているのですが、
日本が、国として2重国籍を認めていないから
日本国籍を捨てない限りスウェーデン国籍を取得できないのです。
【気になる!スウェーデンの「税金」と、「年金・社会福祉」】
当時も今も、
スウェーデンの「税金」はざっと平均すると“60%以上”になるそうです。
手取りが半分以下、場合によっては3分の1程度になってしまうので、
税金の高さにはビックリです!!
その代わり年金や社会福祉は充実。
1970年代や80年代当時は、定年後も60歳から75歳くらいまでは、定年時の年収の90~80%はもらえたそうです。その後も70%前後を死ぬまでもらえた。
今でも、定年後、65歳から71歳までは、今の年収の90%~80%はもらえるそうです。その後は、段階的に下がり、80歳になるとまた下がるようには変わってきたそうです。
この話をしながら、みっちゃんが、スウェーデンの年金は“昔が良かった”というので、
僕たち日本の年金の実情を説明しました。
日本の年金事情を聴いたみっちゃんは、その少なさに驚いていました。
「税金」はとんでもなく高いが、「社会福祉の水準」もしっかり高い北欧の先進国、
話をしながら、今でもスウェーデンがいかに恵まれているかを再確認したようでした。
これまで、スウェーデンの平均的な人たちは、年金があてにできるせいか、あまり貯金する習慣がなく、使いっぱなしだったそうです!!
みっちゃんも、年に2~3回は家族で海外旅行(といっても他のヨーロッパ諸国には近くて安くいける)を楽しんでいたのです。
しかし今、スウェーデンでも、労働人口が減り、高齢化社会になってきているので、
「個人で貯金して年金を補填するように」と政府がPRしはじめているそうです。
それもあって、今では貯金や投資をする人が増えているそうです。
【難民を受け入れた⇒スウェーデンの危機!】
ところが今、平和と高福祉水準の理想的な民主主義国家だったスウェーデンが、治安の悪化と、国民の不満に悩んでいます。
2015年にスウェーデンは、寛容な移民政策をとり、シリア・イラク・アフガニスタンなどの難民16万3千人を受け入れ、その後も移民が増え続けました。
当時のスウェーデンの人々は、そのことに誇りをもっていたそうです。
しかし、現実は厳しいものでした。
増え続けた移民の影響で、スウェーデンの治安が悪化してしまったのです。
毎日のように発砲事件が発生。爆発事件も起きています。
以前は、ヨーロッパで、最も安全と言われ、
みっちゃんが移住した当時は、日本より安全だ!と感じていたスウェーデン。
しかし、今ではヨーロッパで一番危ない国になってしまったと嘆きます。
移民の若いギャング同士の抗争が起こっていて、
まれに一般のスウェーデン人も、発砲事件に巻き込まれるいうリスクを抱えています。
スウェーデンの警察では、対策にアメリカから専門家を招いて、訓練をしているそうです。
みっちゃんに言わせると、「移民を受け入れるのであれば、その国の社会に全面的に招きいれるくらいの覚悟が必用だ」という意見です。
それができなければ、移民は疎外され、貧困に陥り、問題を起こす。
数パーセントの悪い人によって、その対策に税金が多額に使われる。
そこに国民は不満を持つようになる。
その結果、現在、スウェーデンの政治の世界では、右翼が勢力をのばしてきているそうです。
理想を掲げて国を開いた結果、思ってもみなかった副作用に苦しんでいるという、難しい問題です。
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さて、うらやましいところも沢山ある、スウェーデン在住の親友みっちゃんの暮らし。
深く聞いてみると、逆に日本のありがたさを再認識させてくれる事もあります。
数年に一度は、家族ぐるみで日本に帰ってきてくれるみっちゃん家族。
これまでも、みっちゃんの息子さんたちが、佐世保の私たちを訪ねてきてくれたりと、家族の成長ぶりを共有してきました。
コロナが落ち着いたら、またスウェーデンを訪問したいな~と夢見ていますが、
その前に、悪化した治安をなんとかしてほしいものです。
(‘◇’)ゞ
TO BE CONTINUED