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― 戦争難民を経験した大スター

コロナの第3波に負けないように、
感染防止対策に気を付けながらお過ごしのことと存じます。

2020年の今、コロナ禍は本当に心配で大変ですが、
75年前の日本は、もっともっと大変でした。
国内は、敗戦後の焼野原。
中国大陸には、戦争難民となった日本人が数百万人いたのです。

11月のさせぼ夢大学にお招きした講師は、
加藤登紀子さん。

加藤登紀子さんは、1943年ハルビン生まれ。
当時、満州で人口約60万の都市です。
(現在は、人口約1000万の大都市で、ロシアのウラジオストクから、北西に数百キロ内陸部に位置する中国の都市)

1945年の敗戦の時が1才8か月。
まさに戦争難民となり、家族とともに約1年間の収容所生活を送ったのち、
奇跡的に生き延びて、引き揚げ船に乗り
2才8か月の時、辿り着いたのが「佐世保の浦頭港」。

なんと佐世保に縁のある方だったのですね。

戦後中国大陸に残留していた日本人は約700万人。
そのうち引き揚げることが出来たのは約170万人だったそうです。

そういう生い立ちの加藤登紀子さんが、
東京大学在学中に歌手デビューを果たし、
当時学生運動に没頭していた藤本敏夫氏と出会い恋に落ちます。

しかし、当時は東大に警察機動隊が突入し、
過激な全共闘の学生を逮捕するという時代です。
恋人の藤本氏は8か月に及ぶ拘置所暮らしをしました。

その後、お二人は結ばれて素晴らしい人生を築いていかれる訳ですが、
加藤さんのお話を聴き、
そして歌を聴いていると、
その人生経験の深さと凄さが響いてきます。

今の自分が大変だと思っている事が、
なにか、全然大変なことでは無いように思えてくるのです。

コロナも心配。
コロナによる不況も心配。

でも、戦争難民として逃げ帰ってくることを考えたら
その大変さは比較になりません。

コロナによる不況も、戦火で何もなくなった当時の日本を思えば
何てことはないと思えてきました。

デモをしても捕まらない日本。
発言の自由が守られている日本。

しっかりとコロナ感染予防対策をしながら、
今、あることに焦点を合わせて、
幸せな今を味わいつつ、日々を暮らしていきたいと
想いを新たにした加藤登紀子さんのトーク&ライブでした。

加藤登紀子氏公式サイト
https://www.tokiko.com/

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