YOSAKOIさせぼ祭りが無事に終わってホッとしたのも束の間、
10月28日には、国際ロータリー第2740地区2023-2024年度の地区大会という
大規模コンベンションのお仕事が待っていました。
普段はMCという司会の役目が多い僕ですが、
今回はホストである佐世保北ロータリークラブの皆さんを、
事業者としてバックアップする役目です。
クラブの皆さんに、私たちSK-I Corporationのメンバーが加わって、
一丸となって舞台裏の進行を一生懸命やり切って務めました。
千人規模のお客様をお迎えして、佐世保観光大使さんにも手伝っていただき、
佐世保市民管弦楽団様には「美しき天然」「西海讃歌」を演奏していただくなど、
佐世保の魅力を発信しながら、素晴らしい式典として大成功できたと、
感謝でいっぱいの週末になりました。
さて、今回のテーマは、久しぶりに、
海外バイクツーリング冒険記アフリカ編7
『砂漠を旅する(‘◇’)ゞパートナーとの出会い!』です。
ぜひ、お読みください!
(‘◇’)ゞ
(この冒険記は1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)
1986年9月24日水曜日(晴れ)
チュニジアのジェルバ島のホテルYATI(ヤチ)で朝を迎えた。
チュニジアの辛い料理を食べ続けているおかげで、お腹の調子がイマイチだった上に、
昨夜ホテルで知り合ったドイツ人夫婦と、調子に乗ってビールを飲みすぎた~。
9時には朝食をとって、正露丸を飲んで、
僕のお腹はなんとか復活。
(辛い料理と、微妙な水のチュニジアでは正露丸が役に立った)
自分の快復の次は、バイクの回復だ!
愛車YAMAHA XT350の走行距離は9300キロ。
チェーンの点検を兼ねて、オイル(グリース)を手で塗り付けた。
そして、プラグを新品に交換。
さらに、一昨日岩場で転んで、半分折れたブレーキレバーをスペアに交換。
これで、バイクも復活だ。
ジェルバ島の南端EL Kantaraから、
埋め立てたオランダの海岸線のような橋?のような道を渡って、
Medenine(メドニン)へ向かう。
ここには、オフロードへの入り口に、珍しく分かり易い標識があった。
しかし、砂の多い難コースなのに、この道に入ってしまうと、
分かれ道に標識が無い!
しかも分かれ道は多数!!
磁石をたよりに、海岸線に向かうが、
あまりの砂に何度か転びそうになってしまった。
海岸線沿いまでくると、道はしっかり固まっているので快適に走れる。
広大な自然の、グレートな景色に感動!
とは言え、ここは道というより、たまたま車が沢山同じところを通ったので、
轍(ワダチ)が道のような感じになったところという印象だ。
海岸線から内側の陸地に入ってくると、また不安になってくる。
とにかく、全く人にも車にもバイクにも合わない。
ガソリンはあと4リットル(80㎞分)くらいあるけど、これでも不安だ。
とにかく、なるべく大きな道を選んで南西を目指して、
やっと大きな舗装路に出て、小さな町に辿り着いた。
この町には、残念ながらガソリンスタンドは無かったけど、
雑貨屋さんの前に、トラックドライバーや警察官、
そして何しているか分からない人が沢山タムロしている。
ここで、水とボールペンを仕入れて、コーラの類似品を飲んだ。
(だいたい類似品はコーラよりもっと甘い)
英語の出来るトラックドライバーさんに道を教えてもらい、
英語の出来ないお巡りさんとは握手をして別れた。
次の街Medenineで、やっとガソリンスタンドを発見。
満タンにして、Tataouine(タタウィン)に直行。
途中でまた検問していた!今度はパスポートを見せなければいけなかった。
明るく陽気なお巡りさんと、なんだかんだジェスチャーゲームをやっていたら、
ドイツの高級バイクBMW R80GSに乗ったフランス人の二人組がやってきた。
検問を一緒に通過させてもらった縁で、
タタウィンの街まで一緒に行くことになった。
彼らは、英語をしゃべってくれる親切なフランス人カップルだ。
タタウィンのホテルで一緒に昼食を楽しんだ。
彼らは、ここタタウィンにそのまま宿泊するつもりだそうだ。
僕は、ここで別れて次の目的地シャニニに向かうことにしたので、
ここで、“ボンボヤージュ”と言って別れた。
(実はこれが運命の出逢いだったのだ)
シャニニへのオフロードは、分かり易い上に最高の景色。
チュニジアに来て初めて!というくらいの、
最高のアフリカ大陸というイメージの場所に出会った。
砂漠に赤い岩山、そしてナツメヤシがオアシスのイメージを醸し出している。
赤い岩山が一つの街になったようなシャニニの景色は最高だ。
遠くから見るとまるで要塞だ。
シェニニ
しかし、ここは観光地。
立ち止まっていると、あっという間に自称観光ガイドの子ども達が寄ってくる。
「シノアー、シノアー」(中国人をこう呼ぶらしい)と叫びながら、周りを取り囲むのだ。
結局、観光地化したシャニニでは、とてもリラックスできない。
ここに留まる気にはなれなかった。
夕暮れの谷間のオアシスをのんびり楽しんだ後、
また、荒れたオフロードを20㎞引き返して、タタウィンに戻った。
タタウィンは観光地ずれしておらず、紳士的な落ち着ける街だ。
僕はこの街がすごく気に入った。
タタウィン
この街で見つけたホテルENNOURは、一泊たったの1.5TD(約300円)
部屋はまるで病院の入院用個室といった感じで、ベッドも病院のベッドみたいだ。
しかし、300円ならこれで十分満足だ。
夕食は、街に繰り出して、一番良さそうなレストランに入った。
サラダ、チキン、フルーツ、コーラ3杯いただいて、たったの1.8TD(360円)だ。
そして、食後には、目の前にあったカフェ・ジュネスに入った。
ここのマスターMr.サイトは、英語を話せるし、とても親切。
ホテルが超質素だったので、
この快適なカフェに店じまいまでゆっくり粘ってしまった。
マスターは、日本人がここに来たのは初めてだと言って、
いろいろ話しかけてくれた上に、おみやげにサンドイッチをもらってしまった。
おかげで、幸せな気持ちで質素なホテルENNOURでの一夜を過ごした。
1986年9月25日木曜日(晴のち曇り、また晴)
ホテルの部屋で、昨日もらったサンドイッチと、水筒の水という朝食をとって、
今日は結構早いスタートだ。
バイクに荷物を積んでいると、
偶然バッタリ、昨日昼食を付き合ってくれたフランス人カップル、
リヨネラとロゴンスのBMWが、僕を見つけて停まってくれた!
笑顔で再会を喜んで、お互いの予定を相談。
これからのアフリカの旅には危険も伴うので、
話し合った結果、「一緒に行こう!」ということになった。
今日のコースは、ガンメッサを通って、
チュニジア最南端のオアシス「KSER RHILANE」へ!
ほとんどが、ピスト(オフロード)未舗装の道だ。
オフロードでは、特にアフリカの砂漠では、
1人では危機を乗り切れない。
ここで出会ったフランス人カップルが、
お互いに命の恩人と言える、砂漠の旅のパートナーとなるとは、
この時点ではまだ分かっていなかった。
To be continued