僕が、海外バイクツーリング冒険の旅にチャレンジした1986年当時、
どこの国を旅していても、
キリスト教のヨーロッパ諸国でも、イスラム教のアラブの国でも、
出会う人々は、みんな親切で僕を助けてくれました。
もちろん、観光客を狙うスリや、泥棒の存在には、十分気を付けていました。
旅を続けている内に、危険な人や場所を見分け、
信用できる人と友人になる…そんなアンテナ(感覚)が、
身に着いていたと思います。
テレビや新聞、ネットニュースを見ていると、
厳しく悲しい世界の情勢ばかり報道されています。
人間は個人対個人なら、どんな国でも親切でフレンドリーな人と出会えると思います。
世界は平和で、旅を楽しめる場所であって欲しいと強く願っています。
今回のテーマは、
海外バイクツーリング冒険記アフリカ編19
『アルジェで解決!旅のトラブル』です。
ぜひ、お読みください(‘◇’)ゞ
(この冒険記は1986年当時の日記とアルバムを基にした書き起こしです)
1986年10月5日日曜日~7日火曜日 アルジェ滞在
この3日間、まるで日本に帰ってしまったのかと錯覚するくらい、
ゆっくりと寛いでしまった。
毎日、従姉の姉さんの美味しい日本食をたらふく頂いて、
アルジェリア産のワインを飲ませてもらって、
平均10時間ほど寝ていたので元気回復だ。
おかげで僕の体力は、出発前と同程度まで回復した感じだ!
【判明!アフリカで6回ものパンクの原因は?】
アルジェの水事情はとても不安定で、
水道の水は、午前中しか出ない!
しかも、いつ止まるか、いつまた出るか?分からないという貴重な水だ。
(1986年当時の状況)
その水を使わせてもらって、バイクを綺麗に洗って、
砂にまみれたリアタイヤの部分も念入りに洗って、
パンクの原因を探ることにした。
パンクしていないのに、バイクからタイヤを取り外して
パンク修理と同じ作業をするのは、面倒な話だ。
でも、このままでは、いつまた原因不明のパンクに悩まされるか分からないので、
洗ってキレイになったリアホイールを、明るいベランダに運んで、
サザンオールスターズの音楽を聴きながら、落ち着いて点検してみた。
原因かもしれないと思っていた砂漠の砂は、どうも犯人ではなさそうだった。
外したタイヤの内側をよくよく見てみると、
なんと「リアタイヤの内側に2㎝5mmくらいの亀裂」が入っている!
チューブの傷と見比べてみると、なんとピッタリ合うことが判明。
コイツが真犯人だった!
ここに、何度もチューブが挟まれて、パンクしていたのだった。
最初の1~2回はしかたがないにしても、
結局合計6回も、同じ原因でパンクを繰り返していたのだから、
自分の未熟さを認めるしかない!
まあ、とにかくリアタイヤの内側に、パンク修理用のパッチを入念に貼り付け、
さらにガムテープで補強して、また組み込んだ。
今度は安心して乗れそうだ。そう祈りながら思った。
それにしても、これは大きな成果だった。
(今、考えるとバーストが怖いと思うけど…
チュニジアにも、アルジェリアにもこのサイズのバイクは輸入されておらず、
新しいタイヤを買うことはできなかった)
【フランスの政策が厳しく変更( ;∀;)】
アルジェリアをバイクで走っている時は、
新聞はアラビア文字だし、テレビのニュースを見ても分からないので、
従姉夫妻に話を聞くまで、時事ニュースを知らないまま旅していた。
なんと、テロ対策のため、フランス政府が、対外政策を厳しく変更!
約2週間前にビザの制度を復活させてしまったのだ。
9月にフランスを旅していた時には、ビザは不要だった。
それがビザ無しでは入国できなくなってしまったのだ。
もし、知らないままフランスとの国境に向かっていたら、
足止めを食らうところだった。
ヨーロッパに戻って、パリのリヨネラやロゴンスを訪ね、
スイスの4TAKTチームの皆と再会することを楽しみにしている僕にとっては、
フランス入国は欠かせない!
なかなか英語の通じないアルジェリアで、
フランスのビザを取得する事は大変苦労しそうだけど、
従姉の旦那さんが、日本を代表するM商事の商社マンだったから助かった。
M商事の方々に、絶大な力を貸していただき、あっという間に解決!
2日でビザをもらうことができた。(手数料は60ディナール)
これからの旅に欠かせない大きなアイテムである
「フランス入国ビザ」を、スムーズに取得できて本当に助かった。
体力も体調も復活し、
「タイヤ」と「フランスVISA」の問題も解決した。
僕のバイクの旅は続く…
To be continued